去年秋、チリの映画監督パトリシオ・グズマンの「光のノスタルジア」を岩波ホールでたまたま見て、その過去との向き合い方、映像美にすっかり魅せられた。それからずっと、二部作と言われる「真珠のボタン」が関西にくるのを待っていた。
「真珠のボタン」は、太古から存在する光や水といった自然現象と先住民との関わり、過去から未来、宇宙につながる世界観を美しい映像でとらえた壮大な叙事詩だ。「光のノスタルジア」同様、声をあらげることなく、強く糾弾しているのは、未だになにがあったかわからないままの、40年ほど前のチリのピノチェト政権の愚行である。
水の記憶を追う中で現れる「真珠のボタン」は、ピノチェト政権の犠牲者となったパタゴニアの先住民族や、残虐な方法で処刑された政治犯の声を象徴するものなのである。そのことが少しずつわかってきたとき、涙が出てきた。肉体は消失したとしても、さまよっていた死者の声はなんとか「現在」にたどりついたのだ。
過去の記憶をどのように伝えるか、見せるか、私はほんとうにグズマン監督の手法に感服した。