最近オーストラリアの民間抑留についてのフィクションが立て続けに手に入った。そのなかでまず日本語で書かれた久保田満里子著「蒙志とローズ」(日本語)を一気に読んだ。著者は、主人公となった稲垣蒙志と同じメルボルン大学で日本語の教鞭をとっていた方だ。
静岡から戦前のオーストラリアに渡った稲垣蒙志を研究する人は、福島尚彦博士や永田由利子博士らが著名である。著者は彼らの研究書をベースに読みやすいライフストーリーにまとめたようだ。今迄自分では英語で読み取りきれなかった論文や文献から引用された部分が日本語で読めるのはありがたい。しかもかなり忠実に翻訳されている。
著者はフィクションであると巻頭で述べてはいるが、登場人物はすべて実名のようだし、フィクションというよりはむしろセミフィクションとでも言っておきたい。
稲垣蒙志の足取りは不明な点が多い、静岡で生まれ、1897年にオーストラリアに渡る。最初は日本人の多い木曜島で働いていたらしい。1907年にメルボルンでローズと結婚。1919年から開戦までの間、メルボルン大学で日本語教育に尽力した。タツラ収容所では人づき合いの悪い人だったと聞いていた。この本を読んだとき、彼がどうして閉鎖的で悲観的な人になってしまったかが、なんとなくわかるようになった。
蒙志はオーストラリア国籍をもつ白人の妻がいたにも関わらず、収容所からの釈放を求める膨張会ではその希望が受け入れられなかった。勤務先のメルボルン大学をふくむメルボルンのコミュニティはなぜ彼に冷たかったのか。読後、蒙志が十分に釈放される条件がそろっていたと思うのは、著者の脚色もあるだろうから鵜呑みにはできないのだが、ひとりの移民が辿った過酷な経験としてあの時代に外国で日本人が生きる難しさを考えさせられる十分に興味深いものだった。
数年前、蒙志がいったいどこでいつ亡くなったのかわからない、そういった永田さんの言葉を想い出した。度重なる失望が人の心に宿ると、やがてそれはその人の命を奪ってしまう。蒙志もまた私のなかで気になる存在になった。