京都駅イオン5階にある映画館の上映室5の不思議な赤いベンチシートに友人と並んで、マチュー・カソヴィッツ監督・主演「裏切りの戦場–葬られた誓い」を観た。この邦題、うまく映画のテーマが伝わってこないし、特徴がないのでいっこうに覚えられない。原題は、L’ordre et la morale(映画の中では「秩序と理性」と訳されていた)、こっちはよくわかる。いったいこの邦題でいったいどんな観客が来るのだろう。幸い友人がたまたま気づいてくれたおかげで、フランスの植民地ニューカレドニアの独立紛争を描く稀有の映画を私は見逃さずにすんだ。
映画の公式サイト http://uragiri.ayapro.ne.jp
映画は、1988年にニューカレドニアのウヴェア島で実際に起こった憲兵の誘拐事件がベースになっている。この時期、本国フランスでは、ミッテラン大統領とシラク首相が大統領選を目前に激しく戦っていた。投票日までに、25000kmも離れた小さな植民地で起こった事件をどう解決するか、それが大統領選を左右するまでになっていた。
カナックと政府の間で仲裁役を務めたフィリップ・ルゴルジュ大尉は、軍隊の有無を言わさぬ上からの指令を守ること、政治家の絶対的な命令に従わざるをえない軍隊の在り方に直面し、「秩序と理性」の中で悩む。映画に映った当時のTV番組で対談をするミッテランとシラクのグロテスクな顔には、政治家が保身のために平然と不条理な命令を下すことができる恐ろしさが表出していた。そして、立て籠ったカナックたちは、フランス共和国の一員として市民権を与えられながらも、フランス政府に虫けら同然に扱われ、味方であるはずのFLNKSの党首ジャン=マリ・チバウ(ミッテランの側近は、チバウは大統領の友人と語っている)にも黙殺される。
もっと血なまぐさい映画だろうと想像していただけに、とてもいい映画で驚いた。へんな誇張もなく、ドキュメンタリー?と錯覚することさえあった。カナックの姿はとても自然で(言い換えれば素人くさい)、島の人が端役やエキストラをつとめているのだろう。若きカナックのリーダー、アルフォンス・ディアヌは、結末をすでに知っているような知性ある悲しい眼をしていた。彼の台詞のなかで、過去から現在に至るフランスの弾圧が、「ニッケル」「マショロ」という言葉をとおして象徴的に表出する。パンフレットに、この重要なディアヌ役をつとめたイアベ・ラパカは、ディアヌの妹が伯母にあたると書いてあった。
映画のタイトルロールから、撮影場所はタヒチだとわかった。ウヴェアで撮らなかったのはなぜだろう。酋長(長老)が許可しなかったのだろうか。ウヴェア島、ここは森村桂がとうとう見つけた「天国にいちばん近い島」だ。大林監督が映画を撮るためにニューカレドニアに渡った頃、この独立紛争のまっただ中だった。
家に戻り、その日の夜、インターネットで検索すると、YouTubeのドキュタリー映像、Elizabeth Drevillon監督「L’ordre et la morale – Autopsie d’un massacre – Docu Infrarouge – Grotte d’Ouvéa」が見つかった。多くの証言でまとめられた秀作で、なにより映画の役者が当事者に実によく似ていることに驚いた。あらためて、事件が起こってまだ20数年、生々しい記憶と、関係者が存命のうちに、カナック人への憐憫や同情ではなく、ここまで正面から事件に向き合おうとし、カソヴィッチ監督には恐れ入った。
ニューカレドニアの独立紛争は、今も語ることを躊躇する人がいるほど生々しい負の記憶である。狂気したカナック人に襲われたフランス人コロンや、カルドッシュ、日系人をふくむ外国からの移住者たち、彼らの体験もまたまもなくいろんなかたちで知る機会が出てくることを期待したい。西洋による植民地支配がどういうものであったか、すべてそこに起源があるのではないだろうか。