1月12日、氷川町文化センターの調理室で早速料理が始まる。熊本県まちづくり課から紹介してもらった八代郷土料理名人のKさんの手際の良さに驚いた。あまりにもスピーディなので尋ねてみると、寿司屋で働いていたという。さらにその前は魚屋にいたという。彼女は魚のプロなのである。70歳をすぎても、夜通し準備をして、近くの道の駅にコノシロ姿寿司や巻き寿司、いなり寿司を毎日出している。

有明あたりで水揚げされたコノシロはまずウロコをはぎとられる。次に、背中に包丁が入り、背開きにする。魚を背開きするのは珍しく、城下町である八代では切腹を嫌がったのではないかという説がある。
ガリガリと背骨を切り取る音がし、内臓がとりだされる。カシラからエラが取り出され、顔を残すように途中まで切り込みを入れる。水できれいに洗ったコノシロを、背折をして、寿司めしを詰めたときにふんわりと腹が丸くなるための下準備をする。
カシラをめがけて勢いよく塩が放り込み、塩漬けをする。綺麗に並べ、5〜6時間置き、塩加減は身の一部をとって味見をして確認する。このままの状態で冷凍すればコノシロはしばらく保存ができるという。
塩加減がよくなると、余分な塩分を水で流し、今度は昆布をたっぷり入れた酢に一晩漬けられる。翌日、やわらかくなったコノシロには、茶碗一杯半ほどある生姜と白胡麻を和えた酢飯が詰めこまれる。形を整えたあと、手際よく切り、頭と尻尾を立てて出世魚らしく盛り付けた。

 
戦前の仏領ニューカレドニアには八代から多くの出稼ぎ移民が出かけている。川田東の竜峰山を登ると、新八代駅の北側、いぐさの生産地として有名な千丁を見渡すことができる。千丁から先は、江戸時代から干拓がすすめられた地域で、そこからも移民が輩出されている。松本さんは仲間の多い人で、家にはいつも大勢の人が集まっていたそうだ。親しい友人には下益城あたりの人もいた。おそらく一度に100個くらいのコノシロ寿司がふるまわれ、日本から取り寄せたアサヒビールも食卓には並んでいたことだろう。
 

竜峰山五合目からの眺め