コノシロ姿寿司がニューカレドニアでつくられていたことを知ったのはかれこれ10年近く前である。
ニューカレドニアで毎年開催される文学フェスティバルに招聘された3人の日本人作家のひとり、関口涼子さんは、アテンドしていたミッシェル日本国名誉領事から日系二世である自分の母親ヨロンドに会わないかと声をかけられた。彼女はそこで八代出身の出稼ぎ移民であるヨロンドの父、松本さんが天長節のときなどにふるまったコノシロ寿司の話を聞いたのだ。関口さんは、その時感じたことを詩人、岡井隆さんに言葉にして手紙で綴っている。『現代詩手帖』に連載された彼らの往復書簡は、「コノシロ伝説」として2018年に出版された『注解するもの、翻訳するもの』(思潮社)に所収されている。
*関口さんはYolandeを「ヨランダ」と表記している。女性であることをわかりやすくしているのだろう。
私は、ヨロンドとはたいへん親しく、孫のように可愛がってもらっていた。ニューカレドニアに行くたびに訪ねてはいろんな話を聞いていたが、コノシロのことは聞いたことがなかった。あるいは聞いていても理解していなかったのかもしれない。
ミッシェルさんからヨロンドがコノシロ姿寿司の話を関口さんにしたことを聞いた私は、関口さんを紹介してもらって京都で会った。関口さんはヨロンドから聞いたコノシロ姿寿司のことを、手をひらひらさせて語った。
戦前のニューカレドニアで、松本さんはサン=マリー湾のそばに広い農地を借りて菜園を経営していた。自宅の前から海に出れば、海の幸にも恵まれ、コノシロもよくあがったそうだ。松本さんのところには、働き手や友人たちなどいつも多くの人が集まった。私は、大きなテーブルを囲んで、みんなが楽しそうにコノシロ姿寿司を囲んでいる様子を想像した。好奇心旺盛なヨロンドは、きっと父親とその仲間がコノシロ姿寿司を準備する様子を、ずっとそばで眺めていたのだろう。
松本さんは熊本県八代市川田東の出身なので、妙見祭のときにはコノシロ姿寿司をみんなでつくって食べていたにちがいない。であれば、妙見祭に行けはどこかで売っているのではないかと思った。しかし、露天で売っていたのは冷凍したものを解凍したもので、お世辞にも美味しいものではなかった。何軒かの寿司屋にも電話をしてみたが、作っていないと言われた。(後に、衛生管理上、コノシロ姿寿司を売ることはないだろうと聞いた。)
2000年頃から、私は天草に調査に通うようになった。意外にも大矢野の道の駅で偶然コノシロ姿寿司を見つけ、ようやく食べることができた。それでもどうして八代では見かけることがなくなったのか、どうやってつくるのか、ずっと気になっていた。
一方、ニューカレドニアの魚市場では今もコノシロが扱われている。一袋500パシフィックフラン(700円くらい)で売られている魚の名前を聞くと、「コノシロ」と返ってきた。
2024年、なんとなく「コノシロ寿司」をGoogle検索をしたところ、YouTubeに八代の郷土料理名人がコノシロ姿寿司を作る過程がアップされていた。私は、熊本県庁に電話をして、郷土料理のマイスターを紹介してほしいとお願いした。そして指定された2月12日に八代市氷川町に向かったのだ。