「Paradis Perdu 」は、2006年に私が書いた詞にrimaconaがメロディをつけてくれた楽曲である。
その頃まだrimaconaは音楽活動をはじめたばかりの2人組で、たまたま私の学生だったヴォーカルの柳本奈都子さんが「こんなことやってます」と言って一枚の自主制作CDを私にくれたことが、現在に至るコラボレーションのきっかけになった。
その頃ちょうどニューカレドニアでのレジデンスを終え、聞き取りをした二世たちが共通して抱いている日本人の父親への追慕を歌にしたいと思っていた私は、なんとなくすぐに彼女がくれたCD を試聴した。
「これはいける」と直感すると、すぐに柳本さんに相方の原摩利彦くんと一緒に大学の研究室まで来てもらった。ふたりに2006年8月に向けて準備しているチバウ文化センターでの「FEU NOS PERES」展の説明をし、「Paradis Perdu」の歌詞に曲をつけてほしいとお願いした。
できあがった曲は二世たちの心を真摯にとらえた素晴らしいメロディであった。あまりにもできが良かったので、ニューカレドニアでコンサートをしたいかと尋ねると、ふたりは目を輝かせた。
移民たちの記憶を肌で感じたいと思ったのだろうか、3月に私がニューカレドニアに出張する時期にあわせて、ふたりは格安ツアーで初めてニューカレドニアにやってきた。私はふたりを日系の人たちに紹介し、どうしても見てほしかった日本人が大勢埋葬されているティオの墓地に連れていった。その日はどしゃぶりの雨の日だった。この土地で朽ちゆく墓石に丁寧に声をかけるふたりの様子をみながら、彼らが何かを感じとっている様をじっと見ていた。
2006年8月に開催された「FEU NOS PERES」展は大盛況であった。同時に行われた、rimaconaコンサート、シンポジウム、演劇、日本映画上映会など、関連企画にも大勢のひとが足を運んでくださった。このとき、rimaconaは音楽の可能性を確信し、本腰を入れて活動しようと決意したという。
2014年、京都芸術センター主催の若手作曲家シリーズの第一弾コンサートに原摩利彦くんが選考された。6月14日、『FOR A SILENT SPACE』と称されたコンサートで、「Paradis Perdu」はニューカレドニアのプロジェクトのためにrimaconaが書き下ろした他の2曲とともに、弦楽器用にあらたにアレンジされ披露された。美しく、悲しく、しかし、あたたかい、そんな素晴らしい演奏だった。涙ポロポロ、いろんなことが走馬灯のように頭をよぎった。隣の席では、早々と柳本さんがイントロと同時に泣き出していた。
コンサートの後、出口で来場者に挨拶をする原くんが、「ニューカレドニアのマリジョーさんから『私たちのことを忘れずにいてくれてありがとう』とメッセージが届きました」嬉しそうに言った。現在多方面で活躍する原くんが、こうして今もかわらずニューカレドニアのことを大切にしてくれることが伝わってきた。いつか「ニューカレドニア組曲」を創作してほしい、私は期待しすぎだろうか?