土曜日、シンポウムはカウラ市長の挨拶で始まった。参加登録者は約80名だろうか。そこにマスコミ関係者や、大使館、国際交流基金の人たちが混じっている。日本からは木曜島の研究をしている北大の先生が来ていた。
カウラ市のローレンス・ライアンさんの司会で、今回の企画に尽力したNikkei Austraiiaの永田さん、田村さん、金森さんが紹介される。もうひとりのメンバー、ローナ・カイノさんは健康上の理由で来れなかった。
その後、リーダーでありオーストラリア民間抑留の第一人者である永田さんが基調講演をした。永田さんの著作「Unwanted Aliens」は文献調査、実地調査、聞き取り調査をベースにした彼女のPHD論文である。(私の見解だが)後にも先にもこれほどの研究はなく、多くの研究者の参考文献として引用され、私のような創作活動をする人に影響を与え、遺族にとっては貴重な資料となってきた。彼女が出会った人たちの多くがすでに鬼籍に入っているから、ますます貴重である。講演は、日本語教師としてオーストラリアに定着した彼女が、どうしてこの研究に携わることになったきっかけから話が始まった。
その後、永田さんの紹介でタツラキッズが壇上にあがった。私のよく知っている日本人たち以外にドイツ、イタリアの元抑留者も混じった。感動的であった。なかにはキャンプで生まれ、ほとんどキャンプの記憶が無い人も数人いる。それでも彼らがここに参加しているのは、空白の自分の歴史を辿るためか、それとも両親への追悼の心からだろうか。
それから、クラウス・ニューマン博士による強制収容のジャスティスについて基調講演、休憩をはさんで、ドイツ人の元抑留者姉弟、ドイツ人の抑留を研究するイルマ・オブライエン博士、2人の日本人祖父を持つマリジョーの発表が続く。各セッションの合間の休憩ではカウラ市が用意した茶菓子と飲み物をいただく。とてもホスピタリティがゆきとどいていてみんな和やかに語り合っている。日本人のなかには、タツラキッズのために通訳をかって出る人もいる。なにしろ研究者にとっては元抑留者に会えるチャンスだから、次々に人がその廻りに群がっている。
この日の午後からのセッションは、午前中最後のマリジョーの発表に続き、ランチの後、ニューカレドニアについて3人が登壇した。旧知のイスメット、数年前に知り合ったチャッドにくわえて、私が初めてお目にかかるローナ・ウォード博士がいた。彼らの発表は戦時期のニューカレドニアにおける日本人の取り扱い、そして収容所でのことであった。小さな島のことだが、三人が別々に用意した内容はうまくバランスがとれていた。私が感激したのは、この4人が全員開講一番に私の展覧会「FEU NOS PERES」について触れたことだった。特にローナが、2007年に京都の立命館大学で開催した私の展覧会に名刺を残していったオーストラリア人その人であったことにとても驚いた。7年たってやっと会えたのである。あの展覧会がニューカレドニアの日本人移民研究に与えたインパクト、それは私の想像以上のものであったことを8年もたって確信した。私が目の前に陣取って聞いているからというのもあるかもしれないが、彼らの思いやりのある言葉はとても光栄だった。
休憩をはさんで(毎度毎度お菓子とお茶が出る)、タツラ、ラヴデー、ヘイの収容所跡地で歴史研究や博物館を運営する人、私がたいへん世話になってきた人たちによるセッションであった。時間の関係上、対談には至らなかったが、彼らが一同に揃ったこと、それは初めてのことであり、彼らに敬意を払ういい機会だった。
ヘイのデイヴィッドは妻のコリーンと一緒に来ていた。ふたりは私の個展のオープニングには間に合わなかったものの、最終日の最後迄我々と行動をともにした。コリーンは何度も私にとても勉強になった、参加して良かったと私を抱きしめて言った。夫がボランティアで多くの研究者、元抑留者や遺族に協力してきた助けてきたこと、その理由がよくわかったのかもしれない。
ラヴデーのローズマリーは彼女が父親から相続した博物館のことで一時ナショナルトラストともめて消沈していた時期があったが、今回は生き生きとしていた。私と初めて2005年に出会ったときのことを彼女は懐かしそうに話していた。彼女からもらったいろんな情報、それは他のどこでも手に入らないもので、今も非公開のまま私のパソコンのなかにある。
タツラのルーリンはもう80代後半だ。夫のアーサーは90歳になる。ふたりを前にすればみんなまだまだ若い。彼女は実年齢を想像できないほどの若々しい情熱と行動力で誰からも尊敬のまなざしを受けていた。私には最新情報の入ったファイルを見せてくれ、おみやげに2010年に彼女の家に泊めてもらったときに撮った写真と新作カレンダーを持ってきてくれていた。心配りと整理能力の高さはあいかわらずである。
私の使命、それは日本人の情報をもっと彼らにフィードバックすることだ。それはずっとずっと思っていることなのだが、まだ全然できていない。みんな高齢なのでとにかくスピードアップが必要である。彼らに後継者がいるか、それもまた問題である。
初日のプログラムの最後はインドネシアのアーティスト、ジュマーディによる影絵だ。それについては次のブログで紹介したい。

壇上のタツラキッズたち


ニューカレドニアについてのセッション。発表者はイスメット。