日本庭園にあるギャラリーで開催される私の個展「EVIDENCE- The fate of an Okinawan internee from New Caledonia」の展示作業は思った以上にスムーズにすすんだ。アートプロジェクトのディレクションをした金森マユさんが紹介してくれたケンに助けてもらい一日半で終了。3月6日(木)オープニングの朝、慰霊祭に参加するためにカウラ入りしていた南瑠霞さんに会場まで車で連れていってもらい、会場撮影をした。
前日、展覧会を見にきたマユさんは作品を見ながら涙ぐんでいた。現在彼女は村上安吉氏という和歌山からの移民を調査し、そのライフストーリーを「忘れ去られた歴史」ととらえ、その人生をテーマにした演劇にとりくんでいる。だから同じように今は亡き人を追いかけている私の制作活動に誰よりも共感してくれているのだ。私にとって彼女は、ソウルメイトというか、互いにインフォーマントの「墓参り」を大切にする「セメタリーフレンド」でもある。
今回の展覧会では、拙著「マブイの往来」で執筆した比嘉伝三さんのライフストーリーをもとに、彼の足跡をたどった風景写真と、彼にまつわる公文書(給与簿、外国人登録簿)などを組み合わせた2枚組の写真を14組、A2サイズの額に入れて時系列に並べた。事実であるか証明できない人の記憶のなかにある「彼がいた場所」と、間違いなく「彼がいた証拠」である公文書記録(EVIDENCE)。つまり聞き取り活動と文献調査、そのあいだにある空白の部分(ここではマット紙)の部分にこそ、私の視点は注がれているのだ。
オープニングには、マユさんが交渉してくれたおかげでロズネイから美味しいオーガニックワインが振るまわれ、同社のタペナード&オリーブ、フルーツが用意された。カウラ市の方の進行で、日本庭園の代表、ミッシェル名誉領事の挨拶の後、私が簡単な謝辞を述べた。それから乾杯の音頭を同じく助成していただいたジャパンファンデーションの方にお願いした。シドニーからカレドニアや日本から次々に親しい人が到着し、さらにタツラ、キャンベラからも友人が来てとてもいい雰囲気で終わった。今回のプロジェクトがうまくいく予兆だとケンが言った。残念だったのは、ヘイのデイビッドがいなかったことだった。今回の作品のなかには、彼がいなければ撮れなかったカットがあっただけに、皆の前できちんと謝辞を言いたかったのに。
終了後、皆はビル・ガメッジ氏の講演会に移動。私はキャンベラから来てくれたヘレンとキャシーと食事に出かけ、久しぶりにたくさん話した。ヘレンの新しい犬、キトにもようやく会えた。それはそれは美しい犬だった。