産經新聞(関西版)で毎週土曜日にコラムを書いておられる編集委員の石野さんにお目にかかった。彼女は最近、息子さんの結婚式で初めて行ってこられたニューカレドニアで、なにか不思議な排他的な印象をうけたという。それは観光地であるはずなのに、われわれ日本人が慣れっこになっている観光客に対するサービスがないということ。たしかに日本人がリゾート地として大勢行くところといえば、笑顔と片言の日本語でウェルカムを体現するのがあたりまえになっている。
日本人はニューカレドニアを最も訪れる国民だ。フランス人には遠すぎ(「この世の果て」と呼ばれている)、対岸のオーストラリア人には物価の高さとフランス語が弊害になる。「天国にいちばん近い島」というキャッチフレーズは、故森村桂さんのベストセラー小説からとられたもので、彼女が残したキャッチフレーズを観光局は今も変わらず固持しているものだから、ニューカレドニア本来の魅力がいつまでたっても伝わらない。それに、彼女の小説は単に南の島の冒険恋物語ではなく、当時のニューカレドニア社会を巧みに捉えたものであることを、誰も再評価しないのが残念だ。
ニューカレドニアの面白さは、観光局のうたう「プチ・フランス」ではなく、フランスの流刑植民地であったという歴史を持ち、ニッケル鉱山をめぐる覇権争いが続く、出稼ぎ移民の末裔たちが暮らす多民族社会であること。オーストラリアやニュージーランド同様に飛べない鳥がいるし、固有種の多い独自の自然環境がある。
日本との関係は、第一次世界大戦では同志、第二世界大戦では敵となり、そのため米軍が対日拠点としてニューカレドニアに駐留し、島全体が「空母」となったといわれた。この時代、米軍は飛行場をつくり、病院を建て、道路をひき、あっという間に島を「豊かさ」をもたらした。今年9月にオープンする「戦争博物館」は、アメリカ駐留時代をテーマにしたものだ。展示品の中心になるのは、ニューカレドニアで有名な軍事コレクターのコレクションを政府が購入したもの。当時の「日本人」についての展示も現在準備中のようである。
戦後日本は、エビとニッケルを最も輸入する経済パートナーである。日系人は今も多く暮らしているが、誰も日本語がわからない。戦後、観光産業や語学教育のためにニューカレドニアに住み着いた日本人たちは、残念ながらかつて日本人がどのような体験をしたのかほとんど知らない。
さて、石野さんは次週もニューカレドニアについて書かれるはず。Webでも読めるので、是非どうぞ。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/topics/west_life-16389-t1.htm