下北沢で「カウラの班長会議」(作・演出:坂手洋二氏)という燐光群の芝居を見て来た。芝居を観ることはめったにないのだが、やはり目の前に俳優がいて、舞台があるのは、平面の映画とは異なる圧倒的な臨場感がある。18人のPOW(兵士である戦争捕虜)と18人の映画学校関係者が登場し、再現されたハット(収容された人の居住バラック小屋)のセットのなかでカウラ・ブレイク(大脱走)を決めるまでの数日間を描きだしている。全員で36人、彼らが狭い舞台のなかで走り回っている感じ。大勢の出演者なのだが、どの人も顔がたって見える。つまりそれぞれがその役割を果たし、それぞれが印象深い。現在の女性と、過去の男達が「対」になっているからだろうか。
赤い(現地の言い方だとバーガンディ、つまりワイン色)コート、これは、豪軍のカーキのコートをリサイクル工場で脱色し、逃亡できないような派手な色に染めたもの。染め方が良くないからか、雨が降ると色落ちしたという。引き揚げにあたり、彼らの多くがこのコート、毛布、あてがわれた食器などを日本に持ち帰った。貴重なウールのコートはあっというまに食料と交換された。田んぼを歩いて帰ってきた元抑留者の姿を今も覚えていると語る人もいる。引き揚げたときの赤服しか着るものがなかった引揚者を「赤服おじさん」と呼んでいたという話も聞いた。この服の色、異様な視覚的記憶としてそれを見た人の脳裏に刻まれた。収容所の当時の写真がオーストラリア戦争館に残っているが、いずれもモノクロ、この色は見あたらない。(着色した写真が一枚だけあるが、、、)
芝居の話に戻ろう。とにかくよく調べておられて驚いた。そういう意味ではすばらしいノンフィクションであった。今までカウラ・ブレイク(大脱走)を扱うTV番組はほぼ網羅して見ている私には、それとこれがどう違うのか、それが興味の焦点であった。
今回の芝居のオリジナリティは、「女」がいること、「現在と過去」が交錯すること、「カウラ・ブレイクに参加しなかったら?」という設定がある。でも歴史を追いかけている私としては、何かあらたな歴史的史実の発見を期待していた。
沖縄(糸満)の漁師(海に詳しい彼らは、スパイ疑惑で民間抑留者=interneeではなく海洋従事日本人POW=PWJMというカテゴリーにはめられた)がPOWに混じって収容されている設定は事実に基づくのだが、彼の存在がPOWのなかでどんな役割を果たしたのか、それについてもう少し丁寧にひろっても良かったのではないだろうか。それは、「福島」の話にまで話を広げる以前にすべきことだったのではないだろうか。坂手氏は沖縄に詳しい社会派の演出家だけに、彼(ウチナーンチュ)のせりふをふたつみっつ加えただけで、十分な現在に繋がるメッセージを加えるとができたと思ってしまう。
限られたなかで残されたトピックスと、削られたトピックスがあるのは当然のこと。今回は、現在と過去の間にある「敗戦」、日本人同士の葛藤はここでは描かれなかった。下士官を煽っておきながら、自分は逃げ延びた人たちの戦後、敗戦で崩れていく軍隊のヒエラルキー、ひとつの「事件」は多くの「歴史」を包括している。
もう一度見たい、あらためてそう思う。単純に面白かったというだけではすなまい、そういう作品であった。カウラ・ブレイクにスポットがあたればあたるほど、誰も知らないまま放置されている「民間抑留」をテーマにいつか誰かが芝居か映画をつくってくれることを願う。
3/24までの公演の詳細は、http://rinkogun.com

舞台風景、燐光群HPより ©燐光群