朝日新聞のN記者が書いてくださった記事が2月18日の朝刊に大きく出た。実際に取材を受けてからどれくらいたったろうか。日本では、その間に選挙があったし、アルジェリア、グアムで悲惨な事件が続いたため、なかなか紙面がとれず、デスクが手元において、出番を伺っていた記事だ。
私は今ヌメアにいる。19回目の渡航で、今晩はカレドリーヴルという小さいけれど、ヌメアで一番面白い本屋でトークをする。拙著「AMES ERRANTS」は、2012年のベストセラーとして新聞で紹介されたのだが、現状をいえば出版社には在庫がまだまだたくさんある。それだけに、トークは著者の使命として、書店も是非と言ってくれたこともあって行うことになった。
さて、朝日の記事に話を戻そう。N記者は、遅くなりました、と謙虚におっしゃっるのだが、私にとっては絶妙のタイミングだった。これからヌメア、シドニー、カウラ、キャンベラでアポをこなすにあたり、実にいい追い風となる。しかも、メンバーに送るや否や、彼女たち(今度のプロジェクトメンバーは女性ばかり)が、それぞれネットワークを持つ領事館、大使館、外務省に転送してくれた。オーストラリアではまだ実績のない私だけでは、こうはいかない。
来週、私は3年ぶりにヘイに行く。新聞にあった墓石のある場所だ。そこで、もう一度、比嘉伝三の人生を見なおしたい。なぜなら、2014年3月に予定しているシンポジウムに連動してカウラで開催する私の展覧会は、比嘉伝三のライフストーリーを写真でまとめたものにする予定だからだ。
N記者の取材を受けてくださったSさんからmailが届いた。詳しい記事の内容に、80齢にして癒されたとあり、胸がいっぱいになった。彼が抱えている戦争体験によるトラウマ、それが語ることでほんの少し癒されたのだ。
帰ったら、久しぶりに神戸でSさんに会いたいと思う。借りっ放しの写真も整理しないといけない。
こんな整理のつかない気持ちを抱えている人はSさんだけではない。私は彼らの力になれるのだろうか。彼らが元気なうちに、研究者として私に与えてくれた寛容で暖かい協力に対して、十分に恩を返せるのだろうか。限られた時間で、少しでも早く、少しでも多くの方のことを紹介していきたいと思う。