今回の移民120周年祭には、地元のマスコミ関係者にくわえ、日本の新聞社、フリージャーナリスト、TV局取材陣が同行していた。私もたくさん取材を受けたので、少し紹介してみたい。
現在ネットで見ることができる、TBSのシドニー局によるニュース番組は、Thioでの慰霊祭の日に取材を受けた。質問のひとつは、ニューカレドニア移民がなぜこれほど知られていないか?だった。
ニューカレドニア移民は、1892年という日本の移民史において、当時の榎本武揚外務大臣自ら推奨した最も早い時期に始まった官約移民だった。しかし、移民総数は戦前の6000人弱という研究対象としては規模が小さいこと、英語圏でないこと、先行研究がほとんどないこと、などの理由で、本格的かつ継続して調査対象とする人が現れなかった。また、他の地域の移民と比較しようとする研究者も現れず、その存在がわかっているにもかかわらず放置されたままだった。
ブラジルやハワイと異なり、ニューカレドニア移民は単身男性だったために、現地女性と所帯をもち、混血の子供が生まれた人たちもいたが、家庭で日本語が使用されることは少なかった。日本人同士の夫婦もわずかにいたが、日本から呼び寄せる経済力のあるごく少数の人に限られた。
戦争が始まり、日本人が敵性外国人として追放されてからは、日本語の継承がまったくない混血日系社会だけが島に残ることになる。彼らは気持ちの上では「日本人」であっても、日常的に醤油を使う料理くらいしか、かたちに残る「日本」を継承していない。時代が流れ、本国の日本人の生活も価値観も大きくかわってきたため、現在の日系人が描く日本とはどんどんずれが生じている。しかし、それを修正することもなく、あるいはその必要もなく、独特の日本観が育まれている。
取材を受けたTBSのワールドニュースで、私自身はお粗末なコメントを発しているが、番組としては面白い内容になっているので、ご覧いただきたい。今後またニューカレドニアをとりあげていただければ嬉しく思う。次回は、ニューカレドニアでTVの生放送に出演した経験を報告したい。
TBSニュースバード CATCH THE WORLD (シドニー支局)飯島通信員
http://news.tbs.co.jp/newsi_sp/catch/20120719.html