Sakura ga saita展、7月6日のオープニングの夜は、会場の持つ独特の雰囲気に助けられ、忘れがたい夜になった。会場となったヌメア市博物館はヌメアの歴史的建造物、かつて日本人もお世話になったであろう元市役所である。
地下の展示会場とは異なる、翌週から「パペーテ(タヒチ)」展の会場となる離れの企画展示室で、その日はまず17時から講演会を行った。用意された150脚の椅子は、日本から移民祭に参加された岐阜、新潟(三味線奏者の団体)の方が大勢来てくださったこともあってすぐに埋まり、立ち見が出た。
こうした日本人の参加者のことを配慮し、講演を日本語で行うため、Yさんに通訳をお願いした。Yさんは、一連の私の作品、著作などの翻訳を影で支えてくれるヌメア在住の日本人女性で、普段から私の考え方や研究を理解してくださっているので、テキスト(せりふ)を用意せぬまま直前の30分ばかりの打ち合わせで対応してくださるという、私にとって唯一無二の存在だ。講演は、10数枚の写真を壁に投影し、ヌメアという街にまつわる日本人コミュニティ、日本人墓地、日本人会と日本領事館、日本人の菜園、商売などについて話したのだが、未だに現地の人にも、日本人にも十分知られていない日本人移民の話は衝撃的だったようだ。
所用のため、講演が終わる頃に到着したヌメア市長が、(政治家らしい)スピーチをしてくださり、今回の移民120周年祭に対する賞賛の言葉を惜しみなく述べられた。その後、私は館長のヴェロニクに促され、市長を展覧会の会場に案内した。あらゆる歴史に関心を抱く市長は興味津々で、何度もお褒めの言葉をいただいた。また、展示してあった熊本出身の吉山氏が所有した「ジゴレット」が、戦前いくつかのレースで優勝した競走馬だということも知っているともおっしゃった。
カリスマ市長の登場で、私の段取りはいつのまにか狂ってしまったが、天気に恵まれ、中庭で行われたカクテルパーティはとても心地よいものだった。博物館のスタッフも皆笑顔だった。後で聞いてわかったのだが、博物館の部外者に展覧会の企画を任せるのは初めてのことだったらしく、それがうまくいってほっとした、というのが館長のヴェロニクの本音だったようだ。
私とヴェロニクとのつきあいは2003年からで、その友情と信頼があって成立したのがこの展覧会だ。実は私は彼女に大きな借りがあり、そのことに対する感謝は今も忘れることはない。それは、2006年にチバウ文化センターでFEU NOS PERES展の搬入にあたり、センターがつくってくれた立派な渡辺商店の復元(店頭のカウンターと商品棚)に入れる当時の商品がなくて困っているときだった。私は土曜日の午後、ふらりと博物館を訪れ、たまたま休日出勤していた彼女に商品となる展示物がなくて困っているから貸してほしいと相談をもちかけた。私はだめもとで聞いたのだが、彼女はふたつ返事で「週明けにトラックでいらっしゃい」と言ってくれた。
週明けの月曜日、センターの当時の展覧会担当責任者であるアンリと一緒に私は博物館に出向き、倉庫にあった市民から寄付されたばかりの大量の戦前の日用品をトラックに2回にわけて積み込み、借りて帰ったのだ。おかげで、飾り棚は商品で一杯になり、この展示は観覧者にとても人気のあるコーナーになった。
その後、恩返しがしたい私は、日本での展示に使用した、日本人移民が1905年に到着した写真の大型プリント(現在、博物館の常設展示されている)を博物館に寄贈したり、展覧会のカタログに寄稿したりしている。しかし、それでもまだあの寛大な協力に十分なお返しができているとは思わない。
さて、今回の展覧会が実現したのは、今年2月、移民120周年祭の実施が決まったので、ヴェロニクを訪ね、展覧会をしたいと相談したことがきっかけだ。私は前々からこの博物館で展覧会がしたいと思っていた。彼女は、この時もまたふたつ返事でOKと言い、ただ、残念ながら大きな企画展示室がすでに埋まっているので、小さな地下の展示室しかないと言って会場に案内してくれた。しかし、その小さな隠れ家のような地下のスペースは、わずか5ヶ月で展示作品を準備しなければならない私にとっては、ちょうどいいサイズで、すぐにその場で、映像作品を数点でまとめることで話がついた。

話は戻るが、市長の鑑賞が終わり、rimaconaによるコンサートが始まった。2006年、ニューカレドニアで私の展覧会の関連企画としてコンサートをした彼らは、この経験をきっかけにプロになる意識を強く持つようになる。その凱旋コンサートは、急にはめこんだ企画だったこともあり、カクテルパーティの生演奏というかたちで始まった。しかし、rimaconaの周りにはいつのまにか大勢の人が集まり、皆が柳本さんの声に酔い、才能あふれる原君の奏でるメロディに身を任せていた。私が急遽リクエストをした「さくらんぼが実る頃」は、アンコールが出るほどだった。なかには2006年のrimaconaコンサートにも参加し、その成長ぶりを嬉しそうに見つめる姿も多々あった。パリから移民120年祭に参加するために来られていた日本大使館のM参事官も、過密スケジュールでお疲れにもかかわらず、最後までコンサートを楽しんでおられた。
私自身がとにかく毎日忙しいため、rimaconaのケアをきちんとできなく申し訳なかったが、翌日、博物館に行くと、彼らの評判はすこぶる良く、CDを購入したいという声がたくさん届いていた。市役所からは、素晴らしい催しだったと、ヴェロニクに宛てて、博物館スタッフ全員を賞賛するメールが届いた。私自身も、その日の朝本屋でばったり市長に出会い、あらためて素晴らしい展覧会だったと褒めていただいた。
とにもかくにも、ヌメア市立博物館とのコラボはとてもうまくいった。スタッフ全員とともにつくりあげた展覧会をお披露目したオープニングパーティの夜は、至福の時間であった。
あいにく、この日写真を撮ることをまったく忘れていた。どなたか写真を撮っておられたら、是非ご連絡いただければ幸いだ。

Sakura ga saita 展示風景 photo : Mutsumi Tsuda