移民120周年祭のメインイベントのひとつは、7月5日(木)に開催されたティオでの慰霊碑の定礎式です。
朝からまず、ティオのあるメラネシア部落でクチュウムが行われました。正式にこの場所に慰霊碑を建設する許可をもらう儀式で、代表してアンドレ・ナカガワ前名誉総領事がとり行いました。
その後、市民墓地で、ティオ市長、ル・ニッケル社社長、駐パリ日本大使館参事官、駐シドニー日本国総領事館の領事、駐ヌメア日本国名誉領事らの臨席のもと、ジャン神父(ティオの教会)と僧侶による祈祷(この言葉でいいのか、、、)がありました。92歳くらいと言われるジャン神父、すごい存在感です。神父の半歩後を水を持ってついていくメラネシア男性との関係が、とてもこの島らしく、印象に残りました。賛美歌もとても心あたたかまるものでした。
続いて、山川宗玄僧侶のお経が線香のいい香の中で響きわたりました。異なる宗教だとしても、どちらもやはりとても心に響き、あらためて死者を慰める大切な行為だと実感しました。
それから、慰霊碑が設置される場所に置かれた大きなニッケル鉱石にかけられていた日の丸の旗を取って、設置場所が正式にお披露目になりました。そして、慰霊碑の設計者となる松田幸吉氏(一級建築士)のスピーチがあり、次に、敷石のそばで三味線(新潟)と三線(沖縄)の演奏が行われました。
その後、皆が車でル・ニッケル社のリクリエーションルームに移動し、日本から来た代表団(沖縄、鶴岡、和歌山、岐阜、新潟)が全員揃い、昼食会となりました。ティオのメラネシア部落の女性たちが用意してくださった食事はとても美味しかったです。名護市長、鶴岡市長、ポワンディミエ市長も、たいへん満足な表情をされていました。
とても長い一日でしたし、ともかく人が多くたいへんでしたが、こうしていろんな方が集結したのは、日本とニューカレドニアの関係が良好である証、とても感慨深かったです。
クチュウムが行われている間に、私は松田さんと、ニューカレドニアの施工業者との打ち合わせの通訳をしていました。ニューカレドニア側の皆さんがとても誠実に、建築家の意向に添いたいという意向を示してくれ、紳士的で、友好的な打ち合わせができました。おかげさまで、皆が抱えていた慰霊碑制作についての不安が消えました。私自身は、これから慰霊碑に刻む埋没者名簿を完成させないといけません。