12月22日、ドマーニ展のための作品を業者の方に引き渡し、少し一段落しました。あとは、キャプション作成、図録の校正、新聞広告の確認など、年末ぎりぎりまでメールのやりとりが続きます。
来年1月13日の読売新聞にDomani展の広告が出ます。この広告にも記載されているように、1月27日(金)18時より、私のレクチャーとセットでrimaconaによるコンサートが開催されます。なんでもDomani展で、コンサートをするのは初めてだそうです。きょうは、演奏する5曲から「Tatura song」という曲を紹介したいと思います。
家族組が抑留されていたタツラ収容所では、1945年に終戦を迎えると、オーストラリアにもともと居住していた人達で、国内に留まることを認められた人が少しずつ解放されていきます。
1946年になると、残った人達の引き揚げがいよいよ決まり、抑留者は荷物の整理をし、いらないものを焚き火で燃やしたそうです。その火を囲み、皆で最後の暖をとっていると自然に涙が出てきたといいます。いろんなことが走馬灯のように脳裏によみがえり、これからのことに大きな不安を感じていたからでしょう。
そんな頃、子供たちとの別れを惜しんで、キャンプ内にあった私設の国民学校(小学生対象)の先生がつくられたのが「Tatura song」です。歌詞には先生の子供たちへの優しい眼差しを感じます。この歌を覚えていた池貞子さんは、当時10歳くらいでしょうか。皆で歌ってわんわん泣いたそうです。
ニューカレドニアなど、外国で生まれた子供たちは、初めて両親の故郷に向けて旅立ちます。桜が咲く、美しい日本を両親から聞かされていた子供たちは、実際に引き揚げた時に目の当たりにした廃墟となった日本の姿にどれほどの衝撃と感じたことでしょう。
コンサート当日、このTatura songを実際にタツラで歌った人達が集まってくれると思います。私が「タツラキッズ」と呼んでいる元抑留者の方達と一緒に大合唱したいと思いますので、皆様のご参加を楽しみにお待ちしています。