文化庁在外研修員の選抜企画展であるDomani展が、2012年1月14日から2月12日まで国立新美術館で開催されます。今月に入ってウェブが公開され、ポスターも都内に貼り出されるようになりました。
今回のDomani展のポスターのメインビジュアルは、私が2006年に発表した「ニナ」(日系二世)のポートレートです。こんな地味な作品が選ばれるとは自分でも驚きでしたが、とても光栄でもあります。調査、聞き取りを徹底的にした上で写真を発表する私の仕事の方法は、ドキュメンタリー写真というより、活動そのものが作品のように思っています。
久しぶりにこの写真を自分で見なおすと、2004年にニナを初めて訪ねたときのことが思い起こされます。ニナはポヤから山間に入ったモンファウエという小さな部落に住んでいます。彼女のもとに連れていってくれたのは、彼女の甥ダニー(小説家)で、ニナが「60数年ぶりに日本から、ほんものの日本人が来る」と私の来訪を楽しみにしていると道中話しくれました。モンファウエに到着すると、まず長老のところに挨拶にいき、簡単なクチュウム(挨拶と贈り物をして部落のなかに入る許可をもらう儀式)をし、それからニナの家に向かいました。私の他にヌメア在住の友人たち(アミカルの会長など日系の人)も同行しており、写真のなかでニナの背後に彼らの姿が写っています。フランスナイズされたヌメアに住む人にとって、こういった田舎のメラネシア部落は、ふだんの生活のなかでまったく関わりのないところです。
誰かが、ニナの表情を「pensive」だと言いました。「物思いにふけった」という意味です。あの日私はあの手この手で彼女に話しかけながら、彼女が自由に語り出すのを待っていたのですが、なかなかうまくいきませんでした。同時にぬかるみの斜面に三脚をたてて撮影をしていたところ、あいにく三脚が倒れ、マミヤのレンズは地面に落ち泥まみれになり、日本で修理に出すことになりました。
私がチバウ文化センターで2006年に展覧会をしたとき、オープニングに来てくれたニナが、センターのテラスで一日中煙草をふかしながら、ダニーと語りあっていたことをよく覚えています。入場制限されるほど来場者であふれたこの日、ふだんセンターでは見慣れないミッションドレスを着た高齢の女性が展示されている写真の被写体であることに気づいた人たちは、日本人移民のいた時代の生証人である彼女に好意的な視線をおくっていました。いい意味で自分が注目を集めていることをニナは楽しんでいたようで、「きょうは日系人でよかったと初めて思った」と話していたそうです。
ところでニナの写真ですが、実は別カットがあります。弟エドゥールと姪と甥(ダニー)の4人を一緒に撮ったもので、ここでのニナは実に明るい笑顔を見せています。もし見たい方がおられましたら、2006年 7月4日の西日本新聞夕刊の一面に掲載されていますのでご覧ください。