先月21日上智大学で、太平洋戦争勃発後、仏領ニューカレドニアからオーストラリアのタツラ収容所に収容された日本人の体験をお話ししました。このタツラにいた民間の日本人は家族組で、4〜5年抑留されてから、元の移民先(ニューカレドニア)に戻る選択肢がないまま、日本に強制送還されます。
1946年3月、引き揚げ船高栄丸で両親と一緒に横須賀に到着したニューカレドニア生まれの子供達(タツラキッズ)が初めて見た「日本」の敗戦後の光景はどんなに痛ましかったことでしょう。また、ニューカレドニアで築いた財産をすべてフランス政府に没収され一文無しになった親達が、30〜40年ぶりに戻った郷里で、親戚に気をつかいながら再出発するために苦労をかさねる姿をみるのは辛かったことでしょう。そして子供たちは、カレドニアでの平穏で豊かな時代、収容所での食糧に困ることなく遊んだ時代を懐かしく想いながら、日本での生活に同化することを余儀なくされていきます。
今や70歳を超えた彼らの記憶を、彼らと一緒にたどること、これが私の研究方法です。ですからこの日の講演会にもインフォーマントである彼らをお招きし、私が文化庁の在外研修員として5ヶ月オーストラリアに滞在して行った新たな調査の成果を聞いてほしかったのです。そして、彼らから聞いた思い出話をもとに現場で撮ってきた写真をプロジェクターで投影し、見ていただくこともできました。
東京のど真ん中で、素晴らしい機会をつくってくださったのは、講演会を企画してくださったA先生(J大学)です。ほんとうにありがとうございました。講演後、タツラキッズはJ大学の学生達との交流を大いに楽しみました。実際の体験談を聞いた学生たちは、有名なアウシュビッツやPOWの収容所とは異なる平穏なタツラ収容所の日常生活の様子に驚いたようです。しかし、戦争被害である抑留体験を比較して、どれが重くどれが軽いとは一概に言えません。彼らの心に鉛のように沈み込んだ痛みは、やはり今も深い傷になっているからです。