岐阜から戻った。講演前日、まず岐阜県立図書館の豊田穣(直木賞作家)文庫を訪れ、夕方は浴衣を着せてもらって鵜飼を楽しみ、夜は温泉宿に泊まるというほとんど観光客気分。鵜飼では移民120周年祭で出会った活気ある岐阜日仏協会の皆さんとの再会もでき、途中雨に打たれることもあったがとても楽しい出張となった。
当日、講演会場のホテルパークには70〜80名の方が集まってくださった。飯塚日仏協会会長はじめ会員の皆さんの尽力のおかげである。
小林忠雄氏によると、岐阜から旅立った契約移民は228名、総数5575名に対して4%になる。けっこうな数なので、今回の講演は岐阜移民のなかで、その子供たち(二世)に面識のある人4人に絞り込むことにした。
まず、名和喜一郎氏と松田喜代八氏、おふたりに共通するのはどちらも商売で大成功し、太平洋戦争が勃発しても財産を没収されることなく、追放もされずに自宅軟禁の身の上だったこと(すでに帰化していたことや息子が仏軍に従軍したことなどが理由)である。
他に、病気でオーストラリアに移送されることなくニューカレドニアの収容所に抑留された河野与四太郎氏、オーストラリアの収容所で亡くなった堀田松次郎氏についても少しふれた。講演後は声をかけてくださった方たちといろいろ話もでき楽しかった。機会があれば、もう少し調べて何か書いてみたいとも思う。そのためには今度は岐阜県歴史資料館のあいている平日に行かないといけない。
帰ったら、猛暑のせいもあってどーっと疲れが出たけれど、岐阜に行けたことはとてもとても光栄だった。これをきっかけに、岐阜とニューカレドニアの絆がさらに深く、長く続けばこれこそ本望だ。
いろんな面(DM、音響、着付け他)でお世話になった皆様、招聘してくださった岐阜日仏協会、岐阜県国際交流センター、選挙前でお忙しいなか取材に来てくださった、中日新聞、岐阜新聞、岐阜テレビの皆様にも感謝したい。